バリ文化・伝統・祭り

60代夫婦がバリ・ウブドで出会った「静寂の贈り物」——ニュピ体験記

バリ文化・伝統・祭り

バリ島の町を歩けば、絶え間なく行き交うバイクの音、人々の活気、夜になると響いてくるガムランの調べ…。そんな活気に満ちた空気が、この島の大きな魅力のひとつです。

けれども一年に一度だけ、島全体が嘘のように静まり返る日があります。それが「ニュピ(Nyepi)」です。

私たち夫婦が実際に体験してみて初めて知った、心を揺さぶる静けさと特別感。その一日をお伝えします。

ニュピとは?——“静けさ”で迎えるバリ・ヒンドゥーの新年

ニュピは、バリ・ヒンドゥー教のサカ暦における新年にあたる行事です。日の出から翌朝まで、人々は断食や瞑想を行い、島全体が活動を止めます

労働も外出も禁じられ、空港までも閉鎖され、テレビやラジオは放送休止。夜になると街明かりは一切消え、闇と星明かりだけが残ります。観光客も例外ではなく、滞在先から出ることはできません。

事前にネットで「丸一日ホテルにこもる」と知ったときは、「退屈してしまうのでは」と心配しました。

ところが実際は、想像とはまったく違いました。時計の針が止まったかのように流れる静かな時間は、不便さよりもむしろ“贅沢な休息”と感じられたのです。

前夜のオゴオゴ——熱狂と喧騒の祭り

ニュピの前夜は、静寂とは正反対。村ごとに作られる巨大な張り子人形「オゴオゴ」が通りに現れ、太鼓やガムランの響きとともに練り歩きます。

悪霊を追い払うための伝統儀式ですが、観光イベントを超える迫力があります。特にウブドでは観光客も巻き込み、熱気は最高潮に。松明の炎に照らされながら揺れるオゴオゴの姿は、ただ圧倒的でした。

子どもたちの歓声、大人たちの興奮、その場にいた私たちもまるで村の仲間になったかのような一体感を覚えました。

クライマックスはオゴオゴの焼却。スタッフから「一年の厄を燃やすんですよ」と教わったとき、炎が夜空を染め上げ、祭りの熱狂が清々しさに変わる瞬間を感じました。

ニュピ当日——止まった時間を味わう

翌朝、耳を澄ますと、普段なら必ず聞こえるバイクの走行音や人々の話し声が一切なく、鳥のさえずりと風の音だけが聞こえます。島全体が眠り続けているような不思議な静けさでした。

昼間はホテルのテラスで夫は写真を眺め、私は本を読みました。「自分のためだけにこんなにゆっくりした時間を持ったのはいつ以来だろう」と思わず振り返りました。会話も自然に穏やかになり、静けさに包まれた時間は心を温めてくれます。

食事は前日に買い込んだ果物やパン、カップ麺。特別なご馳走ではなくても、それを分け合いながら過ごす時間そのものが思い出になりました。

夜になると、街の灯が消えているため、見上げた空いっぱいに星が瞬いていました。まるで宇宙そのものに抱かれているような夜空。その美しさは、今も記憶に焼き付いています。

スタッフは「悪霊に島が無人だと思わせるためなんです」と教えてくれました。ニュピは観光では決して触れられない、信仰と暮らしが強く結びついた行事なのだと実感しました。

翌朝の始まり——清められた空気と再生

ニュピが明けると、やわらかな朝日が差し込み、街はゆっくりと息を吹き返します。前日にはなかった澄んだ空気に、花の香りや湿った土の匂いが混じり、自然そのものが生まれ変わったかのようでした。

スタッフの「新しい年を迎えました」という言葉に、安堵と喜びが重なります。人々が通りに戻り、街が動き出す姿は、長い瞑想から静かに目覚めるようでした。私自身も心が軽くなり、「新しい自分で一日を始められる」と感じました。

シニア世代にとっての価値

60代になった今、体力や健康を気にしながら観光地を駆け回るより、静かに過ごす旅の時間が心に響くようになりました。そんな私たちにとって、ニュピは理想的な「休息の日」でした。

動けないのではなく、動かずに島を感じる——それがニュピの贅沢。人生を見つめ直すような穏やかな時間は、年齢を重ねてこそ味わえるものだと感じています。

ニュピ体験を楽しむための準備

ニュピを心地よく過ごすには準備も大切。私たちは前日にフルーツや軽食を用意し、ホテルもWi-Fiや食事の安心感を基準に選びました。

夜は街灯が一切消えるため、小さなライトがあると安心です。中級以上のホテルなら部屋に懐中電灯が置かれています。

最も大事なのは「不便」と考えず、「非日常こそ旅の贅沢」と受け止める心構え。これがニュピを楽しむ最大の秘訣です。

まとめ|静寂がもたらす贅沢な一日

ニュピは観光のための一日ではありません。それでも、体験してみると旅の中で最も心に残る瞬間となりました。

前夜の熱狂、当日の沈黙、翌朝の再生。その流れはまるでひとつの物語のようで、今も鮮やかに思い出すことができます。

もしバリ島を訪れるなら、ぜひ旅程にニュピを組み込み、この島ならではの「静寂の贈り物」を味わってみてください。

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